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第三章 終わりに

終わりに

  目覚めよ! このままでは日本はダメになる。

  「1991年7月25日」― 私の人生で41歳から今日までの19年間に及ぶ悲劇が、突然始まった日付である。

 その悲劇とは、捜査機関(警察、検察)による我が国金融システムを護る目的とした確信的な職務犯罪行為で、一人の人間の憲法で保障された基本的人権をまったく無視した今回の詐欺事件捏造による公訴提起なのである。そして法廷が私に対してやったことは簡単に償えるようなことではないのである。

 法は人の前に平等であるが、法の名の下に権力を行使し捜査し裁く側はまったく違うことをこの19年間が私に教えたことである。

 平成8年12月9日、検察側は、私に対し「本件において酌むべき有利な情状は全く認められず、厳格な処罰が必要である」と「懲役14年」を求刑した。

 実はこの日、突然私の実父がこの世を去った。父はタイ国で老後を病気の為静養していたのだが、今回の騒動で多大な迷惑を掛ける結果になったまま、痛恨の事態になってしまった。私がタイ国に、2週間に一回の主治医からの投薬を届けなければそして事業をしなければ、と悔やんでも悔やみきれず、ほんとうに無念でならない。

  私を含め家族、友人ひいてはその周辺にいる善意の人達をも巻き込み、生命、生活権を奪った今回の捜査機関(警察、検察)に対して私は憎しみ以上のものを持っている。

 何よりも先進国たる日本の裁判所が理性も良識も正義も無いのが実態である。司法検察支配であることの恐ろしさを判決文の「被告人は捜査、公判を通じて不合理、不自然な弁解に終始し、公判においては本件は犯罪を構成せず単なる東海銀行とノンバンク各社との間の裏取引にすぎないなどと東海銀行に罪を押し付けるがごとき主張をしている。このような被告人の犯行後における一連の態度は決して潔いものとはいえず、反省の情がまったく認められない。量刑にあたっては厳しい態度で臨まざるを得ない」 が、身を持って体験させてくれたのである。

 この19年間に及ぶ私の恐ろしい犯罪者捏造体験を、客観的証拠により今発表することこそが私の役目であることを確信し、私が捜査機関そして裁判所から犯罪者にさせられたプロセスを詳細に特に東京地方裁判所104号法廷での審理開始から東京高等裁判所で被告人(私は犯罪者でないので出廷を拒否したのである)が出廷しない法曹三者による審理、そして最高裁判所に対して弁護人以外の自らの書面による「上訴趣意書」決定に対する「異議申立書」、「補充書」全て333ページ等を(株)室岡克典政治経済研究所から国民の皆様に開示していく。

  私の主張と思いに賛同していただければ、ぜひとも会員となっていただき、我が国の実態を知り、行く末をともに考えていければ幸いである。

  今日の我が国の現状とくに「失われた20年」と言われる原因が、まさに平成3年に当時の大蔵省の指導により大手都市銀行が「BIS規制8%」クリア目的として、「特別プロジェクト」内取引で借名口座等を勝手に用いて「一般貸出債権」作成による流動化を行い、収益第一主義による目的で「巨額粉飾預金」を流用していたのである。

 これが「バブル経済」の元凶なのである。事実は歴史が見事に証明している。

 自民党の利権集団と大蔵官僚が行った「バブル経済社会」の処理に刑事司法が利用された結果が、今日の日本経済社会の現状なのである。裁判所が、そして検察官が法と正義を捨て去ったなら、国は、国民は一体どうなるのか。自分達の子供が安心して暮らすことができる我が日本を今こそ国民の手に取り戻すことが、国民一人一人の責任である。

  「巨額粉飾」を認めるような経済大国など存在しないのである。第二次世界大戦終戦後、戦争に行った先人達が祖国に帰り焼け野原から本当に必死で働き、子供達の幸せの為に国を再興するため、一人一人が頑張ってきた。だからこそ戦後50年で経済大国となったのである。

 自民党と大蔵官僚達が構築した経済大国ではないのである。彼らが構築した経済大国など国民は望んではいないのである。

 今こそ、本件の「真相と背景」を国民に発表しなければ、1945年に帰結した悲劇と同様になる。日本の国家システムを牛耳ってきた官僚とくに大蔵官僚主義故の国家の悲劇である。腐敗した官僚が蝕む国家とそれに癒着していた政権が、何が何でも国家の方針として刑事司法を用いて隠蔽した経済大国の「巨額粉飾」という事実が問題なのである。そしてこの憂うべき事実は現在へと歴史事実として続くのである。

 だからこそ、その事実を本件の「真相と背景」として客観的証拠により、会員の皆様に検証そして判定をしていただきたく、順次配信していく予定である。

以上

 

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